特定非営利活動法人 維新の魁・天誅組
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   天誅組とは

 
彼らが登場するのは動乱の幕末。
 黒船来航などの外国の武力を背景にした開国要求に、幕府は対応しきれず鎖国を解き、朝廷や諸藩に意見を求める。これによって朝廷・雄藩が政治の表舞台に台頭するようになり、幕府の権威は徐々に失われ、そればかりか開国と攘夷に意見が分かれて政治闘争が始まった。そして、幕府に対抗する旗頭として朝廷を担ぎ出す動きが広まり、尊王攘夷という一派が誕生する。脱藩した武士達は、尊王攘夷の中心となっていた長州藩に集まり、攘夷派公卿と結託して反幕運動を活発にしていく。孝明天皇の勅命をもって幕府に攘夷を迫り、また朝廷の権威を前面に押し出すために、賀茂神社・石清水八幡宮と、二度の行幸を行わしめた。そして文久3年(1863)8月13日、三度目の行幸の詔が発せられる


大和行幸の露払い

  行幸先は大和国。春日社・神武陵参拝のち、兵を集めて伊勢神宮まで進み、幕府に攘夷不履行の罪を問いただして一気に討幕へもちこむ計画であった。ここで、先に大和入りして天領を平定し、行幸をお迎えしようと考えた者達がいた。孝明天皇の甥である公家中山忠光・土佐脱藩吉村虎太郎・刈谷脱藩松本奎堂・備前脱藩藤本鉄石らである。8月14日、約40名の同志が皇軍御先鋒と称して大和五條へ向かった。これがいわゆる天誅組である。
  途中、河内の水郡善之祐らが加わり、千早峠を越えて五條に来た彼等は8月17日、五條代官所を襲撃して鈴木源内ら役人を殺害、代官所轄の約8万石の領地を朝廷直轄地と定めて、「五條御政府」という新しい政治機関をおいた。幕府の出先機関を葬り、いわば新政府を築いたことが、のちに天誅組が「明治維新の魁」と評される由縁になっている。


わずか一日の差

   五條と周辺地域に対して新政府としての施策を打ち出す傍ら孝明天皇の行幸を待つ天誅組に届いたのは、行幸中止の知らせであった。尊攘派のやり方に反発する薩摩藩と会津藩が、討幕に繋がる今回の行幸は是が非でも阻止せねばならないと手を組み、8月18日に宮中クーデターを起こしたのである。朝廷の人事変更・行幸中止が断行され、長州藩と長州派公卿らは京都から追放された。わずか一日で天誅組は、皇軍御先鋒の大義名分を失い、朝廷・幕府から逆賊として討伐を受ける側に立たされたのである。
  
解散か抗戦か―――。彼らが選択したのは徹底抗戦だった。
  
政治の転換は世の常、すぐに尊王攘夷派が取って代わるだろう。各地の同志達も決起することになっている、それまで一日でも長く持ちこたえればいい。徹底抗戦し、武力で幕府を倒す事が出来るのだという事を見せてやろう。たとえ途中で斃れたとしても、後に続く者達がいる。自分たちは突破口を開き、捨て石となればよい。そういう考えであった。

 総勢100名程の天誅組討伐に、幕府は近畿一円の藩に出動命令を出す。動員された兵力は約1万人。天誅組は南に陣を移し十津川郷士に助力を頼む。そして高取城の攻撃に出るが敗退。その後も天ノ川辻・白銀岳・大日川・下市と各所で戦い続ける。圧倒的な兵力火力の差があるにも拘わらず、奇襲夜襲とあらゆる策で時には幕府軍を一時的に撃退するなど約24日間にわたって持ちこたえ、世間に幕府軍の弱さを見せつけた。しかし9月14日、天ノ川辻の陣に総攻撃をかけられ、天誅組は命からがら十津川へ撤退、そして彼等は大峰山系を越えて下北山村へ出る。病傷人も多くなり武器弾薬も底をついた状態になった彼らは、包囲網が狭まる中、更に北へ逃れゆく。
  
最後の軍議を開いたのは9月24日。この先は今の東吉野村小川、幕府軍が陣をしいて待ち構えていた。六人が決死隊となって敵陣に斬り込み壮絶な戦死を遂げたのを皮切りに、18名が戦死。かろうじて中山忠光は6人の隊士と共に大坂へ逃れることが出来たが、9月27日に吉村虎太郎が討たれたのを最後に、天誅組は遂に壊滅した。
  
彼らの抗戦は僅か40日で終わったが、人々の意識を大きく変え、薩長が踏襲して戊辰戦争を起こし、明治維新を成し遂げた。まさに彼ら天誅組は、時代を変える突破口を切り開いたのである。


無私の精神に学ぶ

  
彼らは軍令にいう。
「一心公平無私、土地を得ては天朝に帰し、功あらば神徳に属し、功を私することあるべからず」
  
一切の欲得を捨てて己の信念のみで散っていった天誅組には、新撰組や坂本龍馬などの話題性や華やかさはないかもしれない。しかし揺るぎない信念と無私の精神に、きらりと光るものがないだろうか。平和を謳歌し自分勝手な主張ばかりをいう人が多い今の世の中だからこそ、彼ら天誅組の理念に学ぶことは多いのである。

 
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